2023年1月初旬
父の体に異変がおきた。
その2ヶ月前ほどから、腰の痛みや食事が喉を通りにくいなどということもあり、ほとんど食事が出来ていない状態だった。
年末年始も控えていたので、病院の検査もスムーズにいかず年を越して1月7日にかかりつけ医に調子が戻らないと告げたところ、父の顔と目に黄疸が出ていた為、そこの病院から大きな病院へ直ぐさま検査入院となった。
検査は長引き1週間ほどして一時退院してきた。
その後1週間は家で検査結果を待つ状態だった。
その時は腹水に水が溜まりやすくなっていたのでカテーテルみたいなものを入れ対処した。
通常このカテーテルは1ヶ月ほど腹水をコントロール出来るくらいの物だったみたいなのだが、父は1週間もしないうちに腹水に水が溜まり激痛で再度緊急入院する事となった。
その数日後、担当医から母に電話で
【何もしなければ余命1ヶ月】と告げられた。
抗がん剤や放射線治療などを行えばキツイ副反応は出るけど長くて1年は生きられるとも告げられ、その夜家族が集まり深夜まで今後について話をした。
正直、家族は愕然とし、ほぼ諦めムードとなっていたが僕だけは諦めきれなかった。
それはこの店を出してからの9年間ほとんど親孝行をしてやれてなかったからだ。
親孝行をしてこなかったという事ではなく、親が住んでる下で店を出した事が父と反りが合わなくなったきっかけだった。
元々このお店は僕が小学校からの夢であった中華屋さんを出すということで自転車屋をやっていた両親の夢でもあった。
しかし、店を始めて数年経ち軌道にのった頃、店の家賃を上げるだの、店の前の駐車場代をよこせだのお金に関して凄くシビアな話しをしてくるようになった。
まだその当時何年も借金が残っており家族もいて、とてもその話しに応えることは出来なかった。
そんな事もあり、親父との関係はどんどん悪くなる一方だった。
その時を振り返ると親父も同じ商売人として厳しさを教えたかったのかと思う。が!!当時僕も必死だったので【なぜ息子にここまで金をせびる】と本気で怒りを露わにしていた。
そしてなぜか決まって毎年父の日の前になると、こういう話を持ち出し怒鳴りあいの喧嘩をして、僕は最後決まって捨て台詞で【お前みたいなやつは早く死ね】と本気で怒鳴って言っていた。
そんな事を始めて言われた親父はその後、僕とは1年間も口も聞かず母にいつも愚痴を言っていたみたいだった。
そんな事が昨年の8月くらいまで続いた。
そして、その年の10月親父から歩み寄りなんとか和解をした。
いつも間に立たされていた妻も、
【やっとお父さんが仲直りしてくれたんだから、これから親孝行しなよ】と言ってくれた。
だけど俺にはそんなことも出来ず、また悪態をつかれるのではないかと思っていた2022年の年末だった。
そして年が明けお店の初営業日の昼間に母からタクシーを呼んでくれと連絡が入った。
そこから1ヶ月もしないうちに
【父の余命1ヶ月】と告げられた。